山口裕之
「グローバル化」という言葉が盛んに使われるようになったのは、いつ頃だっただろうか。ことがらそのものの歴史的源流を遡れば大航海時代にさえ言及することができるにせよ、そしてまた戦後のいくつかの局面で地球規模の思考の必要性が指摘されてきたにせよ、現在「グローバル化」(またその反動としての「反グローバル化」)として語られているものは、直接的にはやはり、旧ソ連圏の雪崩のような崩壊現象の後に必然的に生じた、経済の「世界」の再編成と、一九九〇年代後半以降、文字通り地球をほぼ覆い尽くしていったWorld Wide Webといった一連の現象に由来していると言えるだろう。
グローバル化の前提となっているのは、地球規模で結びつけられるはずのそれぞれの地域?国家が、基本的に他とは切り離された独立した単位として存立し、そしてそれらの単位がそれ自体としてはある種の同一性を保ちつつ、他の単位に対してはそれぞれ異なったものとして存在しているという状態である。これらの異質なものを結合してゆくためには、ある種の同質化の原理が要請される。この同質化は一方では、それまで孤立していたさまざまな地域をある大きな統合体のうちに組み込むことによって、それぞれの地域にとっても恩恵と受け止められるような、一般的にポジティブに評価されている帰結をもたらす。しかし、この同質化は決してニュートラルなものではありえない。そこには優越する力の原理が厳然として働いている。「グローバル化」によって個別の異質なものを次第に同じ価値の枠組みに塗り替えてゆく支配的な力が押し寄せるとき、その地域に固有のものは従属的な位置に追いやられていくことになる。グローバル化(同質化および新たな他者との出会い)によって独自の文化的特質が失われてしまうのではないかという懸念は、すでにさまざまなかたちで指摘されているが、それによってことさらに自国の文化的?社会的伝統についての理解を強調することには、もちろん別の懸念がつきまとう。自らの文化や歴史に対する理解をもつという自明の前提のもと、同質性の力に対して、またその力を通じて新たに結びつけられていく他の異質な存在に対して、われわれはこれからもさらに理解を深めていくことになるのだろう。総合文化研究所とは、そのような眼差しをもって「グローバル化」のなかでの(あるいは「グローバル化」以前の)さまざまな文化と向き合う場である。
ところで、本研究所の機関誌『総合文化研究』は、2017年度刊行の第21号から、電子媒体だけの発行ということになった。これも「グローバル化」の流れに沿ったものということになるだろうか。これまでも本誌の寄稿論文や各種記事は、学術機関リポジトリとしての「東京外国語大学学術成果コレクション」において、ウェブ上で公開されてきた。そこで公開されているPDFテクストが、今後は東京外国語大学としては公式の発表媒体ということになる。しかし、このリポジトリに収録された各論文や記事は、読者にとってはそれらが収録された雑誌の特定の号から切り離されて、単体のテクストとしてしか見えてこない。「特集」によって特定の方向性を与えられ編集された雑誌としての性格を今後も維持していくために、機関誌『総合文化研究』はこれからもこの総合文化研究所のウェブサイトにおいて、独自にこの研究誌を発行?掲載し続けてゆく。
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